「あたふたしている人」とか「突っ走っている」とか、「テンパっている」人に何と声を掛けるだろうか。
例えば、前にやっていた自転車のレース中。体力を使うべきところではないのに熱くなってしまっているとき。
例えば、仕事などでプレゼンをする、あるいはしているとき。
さらに例えば、好きな子に告白をする直前。
ぼくは自分自身にこう言っていた。
「落ち着け」、と。
なぜかというと、気負っている状態から平常心に戻れば目の前の事象に対処できると思っているから。
ドキドキと高鳴っている心拍がいつも通りに戻れば心身ともに平常でいられる、そう信じているからである。
ところで突然だが、一年半前くらいから三味線をやっている。
とはいえ、根を詰めてやっているわけではない。
お教室は月二回、普段の練習も一日30分程度やるかやらないかくらい。
そんな感じでやっている三味線の発表会が先日あって、初めて三味線を人前で弾いた。
ソロはない。全部10人以上のグループで、初心者のぼくは端っこである。
上手くいなかないことが大前提、失敗して当たり前。
心持がそんな具合であったため、特段緊張もなく、どちらかといえば平常心で舞台に立つことができた、はずなのだ。
しかし、いざ自分の出番になると、指が動かない、フレーズが頭に浮かばない。
特に焦ってあたふたしてはいない、心臓が高鳴っていたわけではない。どちらかといえば、冷静でもあったはずで、自分が「飛んだ」状態であることもわかっている。
ああ、舞台に上がった役者さんがセリフを忘れた時はこういう感じになるんだ、などとも思った。
感覚としては、パニックになっている他人を眺めている具合である。
あたふたしていることはわかるのだが、どうにもならない。
その時にぼくは理解した。
パニックになった時、意識が平常に戻ってもそれは解決策にはならないのだ。
たぶん、パニックという状態に陥るのは心身の内奥がいつもと違う状態になっていて、それに連鎖して心拍数が上がったりなんだりして「あたふたした状態」になる。ドキドキするのは表層の事象であって、異常事態の原因ではない。
したがって、テンパった時の対処法は「落ち着く」ことでは足りないのではないか、そんな仮説に至ってしまった。
これは非常に由々しき事態だ。
落ち着いても解決しないのならば、今度テンパった時どうすればいいんだろう……。